死ぬ前に読みたかった本、二冊目「文豪 お墓参り記」

昨日の朝、坂口の本についての記事の中で、桜桃忌について触れたけれど、学校に行ったら、そんなこと、すっかり忘れていて、思い出したのは、日本史の授業。学校って、クラスごとに名簿番号があるでしょう。僕は19番なのだけれど、授業で誰かを指名するってときに、日にちの番号であてる先生が、必ずいて、ちょうど日本史の先生がそれで、僕が指名されたのだ。

思い出した。

今日は、桜桃忌、と日本史のプリントの日付の横に書き添えた。

 

朝は、急いでいたので忘れたのかも知れないが、僕が原因だと踏んでいるのは、

山崎ナオコーラ「文豪 お墓参り記」

これを図書館で借りたせいだ。

 

作家、山崎ナオコーラさんが、文豪のお墓参りに出かける、というだけの本。

芥川や、漱石星新一。もちろん、太宰治のお墓も。

 

桜桃忌は、忘れていたくせに、なぜかこの本は、今日借りにいかなければならないような気がして、太宰のお墓参りをするのだから、可笑しい。

 

太宰のお墓参りも、よかった(特に、帰りに玉川上水を見かけるところ)けれど、読んでいて笑ってしまったのは、永井荷風谷崎潤一郎が、終戦前日、すき焼きを食べた、というエピソード。

この二人、何やってるの、これだから文豪は、変人、奇人ばかりで、と、思ってしまったのだが、違う。

谷崎は、7つ年上の永井荷風を敬愛していたようで、作品が褒められたときは、感激したそうだ。当時、谷崎は売れっ子で、荷風はそれほど活躍していなかったのだけれど、そんなことは関係なくて、疎開中の岡山に荷風がいることを知った谷崎は、住まいに招待し、すき焼きでもてなす。

戦争でも、荷風が会いに来てくれるなら、すき焼きなのだ。戦争は、荷風に負けた。

 

ここまでかいて、疲れた。もう、僕が説明するより、とにかく、読んでみたほうが早い。

 

桜桃忌   夜更け重ね   十七歳

なんとなく、作ってみた。駄作。

桜桃忌って夏の季語なのだけれど、19日じゃなくて13日のことなんだってね。

なぜか、それだけで、可笑しい。

箸が転んでも、可笑しい、のだから。

死ぬ前に読みたかった本、一冊目「不良少年とキリスト」

死ぬことばかり考えている僕だけど、読書が好きだ。この死ぬ前に読みたかった本というのは、その名の通り、死にたい、と思ったときに、あの本読みたかったな、と思った本。結局、挙げていくときりがないので、そんなのどうでもいい、死にたい、ってなったんだけどね。

一冊目は、

坂口安吾「不良少年とキリスト」

僕の言う、死ぬ前に読みたかった本には二種類あって、未読で、読んでおきたかった、という本と、昔読んで、救われた本でもう一度読みたい本。

「不良少年とキリスト」は、昔読んで救われた方だ。

もう十日、歯がいたい。右頬に氷をのせ、ズルフォン剤をのんで、ねている。ねていたくないのだが、氷をのせると、ねる以外に仕方がない。ねて本を読む。太宰の本をあらかた読みかえした。

  ── 坂口安吾「不良少年とキリスト」(青空文庫より引用)

こんな書き出しではじまる。坂口安吾の文章はツーカイで、ゴーカイで、読んでいて気持ちがいい。そして、予測不能だ。歯痛の話から、何処へ運ばれていくのか、読んでみるとわかる。僕は寺田寅彦も、予測不能で好きなのだが、寅彦の文章は思わぬところにひょっこり現れる面白さで、安吾のほうは、もう全く思考回路が違っていて、でもテンポがいいので、なんだか、自分も安吾になった気分で、ハテンコーに笑いたくなる。

 

とにかく、言いたいことはたくさんあるのだけれど、結論から言うと、死にたい人は、とりあえず、安吾を読んでほしい。

僕は、「不良少年とキリスト」を読んで、初めて、生きようと思ったし、生きなければならない、と思った。

それから、一番の収穫は、どうして生きていかなければならないか、なんとなくだけれど、合点がいったこと。

死ぬ、とか、自殺、とか、くだらぬことだ。負けたから、死ぬのである。勝てば、死にはせぬ。(中略)人間は生きることが、全部である。死ねば、なくなる。名声だの、芸術は長し、バカバカしい。私は、ユーレイはキライだよ。死んでも、生きてるなんて、そんなユーレイはキライだよ。

── 坂口安吾「不良少年とキリスト」(青空文庫より引用)

 

僕も、不良少年だったんです。 

 

今日は、桜桃忌、なので、久しぶりに読みたくなった。

ミジンコほどの価値もないんだけど、死んだらその価値もない

 

tsudsu.hatenablog.com

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 これで、この死にたい話はいったん終わりにしようと思うのだけれど、結局、なんで生きようと思ったのか、そもそもなんで死にたいのか、はっきりとはわからなかった。

たぶん、死にたいと思ったのは、自分にミジンコほどの価値もないと思ったから。

何をやっても失敗するし、いいところなんて一つもない。誰かを愛したいし、だれかに愛されたい。何のために生きているかわからない。だから、生きるのが嫌になった。

 

それで、もし、自分が死んだらどうなるのか、シュミレートしてみた。

 

まず、死因は、布団の中で、フルーツナイフで首を切って失血死の予定だった。

朝、母親が、起こしに来る。返事がないので、「どうしたの?」と布団をめくる。と、どうなるか、想像したら、中止した。

 

どうして死んでは、いけないのか、はっきり答えられる人は、少ないと思う。ずっと、僕は、どうしてみんな普通に生きていられるんだろうと、疑問だった。

世界なんて、クソだと思っていた。世界なんてクソ、自分もクソ。それでいいや、と開き直って、もう死にたい。クソ中のクソである。

死んだら、ほんとうのクソになるところだった。

 

本音を言えば、生きているだけで、ほめてほしい。死なずにいるだけで、世界の役に立っている、と言われたい。そして、これが本音だとしても、まぁ、生きていれば何の問題もないはずである。

しかし、生きるなら、それ相応の覚悟、特に、生きているからこその苦痛を受け入れる覚悟が必要だ。

今日も、生きよう。

 

 

 

死にたいと思ったので、行動してみたところ

生きること - つづく

 

この前の続きみたいなものだけれど、死にたくなった僕がどうしたか、というと、

「死んでもいいですか」

でググった。

 

知恵袋かなんかの質問版が一番にでてきた気がする。

そこには、案の定、死んじゃダメ、とか、寿命が終わったら、とか、勝手に死ねとか、何の役にも立たないコメント。

 

でも、いのちの電話みたいなものは出てこなかったので、ほっとした。ああいうのって、どのくらい役に立っているのだろうか?

 

少なくとも、僕の場合、逆効果だった。一回、かけてみたこともあるけれど、見ず知らずの人間に話しても、僕は救われなかった。

 

話がそれたけれど、いのちの電話のかわりになにがでてきたかというと、

 

「月が綺麗ですね」

「死んでもいいわ」

 

聞いたことのある人もいるだろう。

 

夏目漱石と、二葉亭四迷の  I love you.   だ。

 

これだけが理由ではないけど、生きていてもいいかな、と思った。

月がみたくなった。昨日は、天気が悪かったから、今日まで生きていかなくちゃならなくなった。今日も天気が悪かったので、明日も生きていくのだろう。

 

死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。

 ── 太宰治 「葉」(青空文庫より引用)

 

ふっとまだ読んでいない小説の冒頭を思い出した。生きていようと思った。

 

17歳で人生について、どうもこうも言えないけれど、僕は僕なりに、少しずつ、先延ばしにするみたいでも、生きていこう、と思う。

17年しか生きてないけど、死にたくなった話

生きることについて

僕が、今日、ブログをはじめようと思ったのは、明日も生きていこうと思ったから。


そもそも、死にたいっていう願望? は前から、中学くらいからはあって、なんとか誤魔化しながら、生きるのに精一杯になりながら、今日まで生きてきた訳なんだけれども。それが、たまにあふれてしまうんだな。


きっかけは、いつもたいしたことではなくて、小さな要因が積み重なって、例えば、成績が悪かったとか、朝起きられなかったとか、そういうわりと一般的なことから、ひどいのだと、同級生の白いサマーニット胸のふくらみを見て、死にたいと思ったこともあった。別に、これは、いやらしさとかは含まれていなくて、ただ、本当に朝二度寝しようみたいな感覚で死にたいと思ってしまう。


そんな僕なんだけど、今回は、自分でもヤバいぞって思った。いろいろの要因が重なりすぎた。たぶん、他人からみると、全部大したことじゃないのだけれども。

そこら辺の細かい事情は、お話しするほどのことではないので、今はやめておく。
まぁ、とにかく、本当に死のうと思ったのだ。

どうして死ななかったか

とくに理由は、ない。
その程度の覚悟だったのだ。生きることについても、死ぬことについても。ただ、ふっと死にたくなって、ふっと生きる気力が湧く。

生きようと思ったので、ブログをはじめてみた。
この時代に生まれたのだから、活用してやろうと思って、拙い文章で全くの素人だけれども、書いてみる。

社会に何かしらのアプローチをしたかったのだ。誰が読んでくれるかもしれない、共感してくれるかもしれないという希望が、なにかをつなぎとめてくれる。